大河ドラマ☆鎌倉殿の13人人物解説①~北条義時~
こんばんは!DIT井上です!今回は、現在放送中の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」に
登場する人物紹介です!!まずはまずは~。主人公、北条義時の解説!義時って意外と
本とかに出てくる割に、どういうことをした人かわからないのではないでしょうか?
う~む。確かにそうかも・・・・・。
その“ほくじょう”義時って誰?
ほくじょうじゃないよ。
なら、きたじょうか?
アホ。「ほうじょう」です。北条義時じゃ!
みなさん、大丈夫ですよ。DIT恐竜研究室にて、辛口なことばっか行ってくる
ケラトに反撃しただけですから。別にアホでもくそでもないので、ご安心くださいw
☑鎌倉殿の13人を見ている人
☑鎌倉殿の13人を見ているけど、内容がよくわからない人
☑北条義時って名前は知ってるけどどういう人かはわからない人
☑鎌倉時代について勉強中の人
北条義時の基本解説
まずは、義時についての基礎知識を解説していきたいと思います!
義時は、北条時政*1の次男として生まれました。兄は北条宗時*2、
源頼朝が伊豆に流されて来ると、姉の政子が頼朝と結婚。時政が頼朝の舅*4
になると義時は頼朝に仕えることになりました。頼朝が挙兵すると、時政・宗時・義時
はそれに従います。石橋山で平氏方の大庭景親*5に敗北。宗時が殺害されてしまいます。
その後、勢力を盛り返した頼朝は富士川の戦いで平氏方を破り(?)鎌倉入りを
果たします。頼朝の死後、13人の合議制(詳しくはまたあとで解説)の一員となり、
だんだんと頭角を現します。3代将軍、実朝の時代には、時政の妻、牧の方の問題や
義弟、畠山重忠を時政に討つように命じられます。そこから、父子は対立するように
なります。政子の肩入れもあって義時は時政と牧の方をついに追放してしまうのです。
そこで、時政に変わり義時は2代執権となります。それからしばらく。なんと源実朝が
暗殺されてしまいます。そうなると、当時は関係が良好だった京都の後鳥羽上皇と
鎌倉幕府は対立するようになり、承久の乱が勃発。御家人が団結して戦い、幕府は
見事勝利をおさめます。軍の総大将は長男の泰時が勤めました。その後、1224年に
義時は62歳で病没してしまいました。しかし、それはこれまでの「武家は朝廷に従う
関係」から「武家が朝廷を従える関係」となったのです。まさしく、維新(日本維新の
会じゃないよ)になるまでの武家政権を本格的に開いた人物と言えるでしょう。
次は義時の面白知識・・・・・のはずなんですが、全く出てこない!!
いきなりピンチ(゚Д゚*)ノ
それじゃあ・・・・・。う~ん、どうする!!まあいい!!頑張ります!!
鎌倉殿の13人「13人」とはいったい何?!
というわけで、まずはこれについて。鎌倉殿の13人の「13人」とは何なのか?!
これは、北条執権の人数でしょうか?最初は父はそう思ったようなんです。
でも、僕には思い当たることがありまして。それで、調べてみたら見事ピンポン⭕!
それは何かというと、先ほどお話した「13人の合議制」です。これは、頼朝の没後、
息子の頼家が将軍になった時。頼家は「イイ子ちゃん」ではなく、「悪いところ」が
目立っていたようなので、義時の父、時政が有力御家人や文官で構成した会議の
メンバーです。13人は、
- 北条時政
- 北条義時
- 和田義盛
- 三浦義澄(みうら よしずみ)
- 梶原景時(かじわら かげとき)
- 比企能員(ひき よしかず)
- 安達盛長(あだち もりなが)
- 八田知家(はった ともいえ)
- 大江広元(おおえ ひろもと)
- 三善康信(みよし やすのぶ)
- 足立遠元(あだち とおもと)
- 二階堂行政(にかいどう ゆきまさ)
- 中原親能(なかはら ちかよし)
です。それぞれの人物の解説はしませんので、興味があったら、各自で調べてみて
ください。
義時の人物像
義時の人物像を見てみましょう。義時は、控えめでしっかりとした性格だったと
言われています。土産物を数えるほどだとか。実際、史料に登場したのは、先程
述べた石橋山の戦いです。頼朝が敗れ、逃げるこの時。時政は、一緒に逃げると
皆殺しにされ家が滅ぶ可能性があるので、時政と義時が一緒に逃げ、宗時は別の
ルートで逃げました。その時、宗時が殺されてしまったのです。義時は宗時のことを
すごく尊敬していたので、大いに泣きました。誰だったか忘れたけど、宗時殺害に
関わる人物が降伏した時、時政と義時が刀を抜き、ずたずたにしたという伝説があり
ます。
そのあとは、特に活躍することもなく地道に頼朝の信頼を得ていました。頼朝の
浮気に時政が怒り、鎌倉を出ても、義時は残ったとして、信任を得ていきました。
そして、頼朝の弟、源範頼*6に従って出陣。食糧不足をうまく解決しました。
そのような、しっかりものの人物だったのですね。小栗さんはどのように演じるのでしょうか?
意外とやらしい性格
とはいえ義時、鎌倉幕府が開かれ、頼朝が亡くなると、次第にやらしい奴になって
いきます。まずは、梶原景時の暗殺。これは、荒れまくる2代将軍、頼家に協力
するのが大きく、景時と比企能員。そこらでそろそろ、頼家と景時がヤバくなってきた
ということで、時政と一緒に景時に暗殺者を送ったというものです。実際、暗殺者
よりも前に別のものが景時を倒したのですが。でもですね、それだけじゃなくって。
実はこの景時。元々は平氏に仕える身です。それが、頼朝が敗戦した石橋山の戦いで
時政と義時が逃げるときに、逃亡を助けたものです。頼朝、時政、義時が息をひそめて
いるときに、景時がそれらを見つけます。しかし、景時は「おーい、見つけたぞー!」
とは言いませんでした。
見て見ぬふりってこと。
しかも、仲間に、「ここにはいない。また別のとこ行こうぜ!!」って言って逃がして
くれたんです。いわば、時政と義時の命の恩人。
なのに暗殺はひどすぎる・・・・・。
次に、時政追放。時政を追放する・・・・・までは良いですが、そこから政所別当と
執権を「引継ぎ」と称して手に入れてます。それが後々関わってきますよ。
さらにさらに、和田合戦の事件も。幕府の有力御家人、和田義盛が謀反した事件です。
将軍問題の事件で義盛の息子二人と甥が事件に関わったとして捕まります。息子は、
将軍・実朝により釈放されましたが、甥の胤長(たねなが)は釈放されず。義盛は
一族を連れて義時に「なにとぞ、胤長を釈放してくだされ。なにとぞ、なにとぞ」と
土下座して頼みますが(?)なんと義時、義盛の目の前で捕まってボロボロになった
胤長を罪人として歩かせたのです。
和田義盛はそりゃキレるな。
そこから、和田合戦が発生しますが、鎮圧し、和田義盛は殺されます。さらに、侍所
別当という武士をおさめる偉い位を手にします。そしてなんと、政治の政所別当と
武士を束ねる侍所別当を独占してしまったのです!やらしいですね・・・。
さいごに
この記事のまとめ・雑談・メインブログとカクヨムのリンク等です。
今回は、鎌倉殿の13人人物解説その①として主人公・北条義時を解説しました!
この記事が役立てばとても嬉しいです!!しっかりものですが、あとからやらしくなる
義時は、どちらにしろ武家政権を確立した人物ですからね。義時を温かい目で
見守ってください(笑)
親か。
それでは、今日はこのへんで!最後まで読んでくれてありがとうございました!
次回もよろしくお願いします。
次回予告
次回は、都市伝説解説の予定でしたが、「いつろく」という面白アプリを
解説します!!これは面白いことになりそうです(笑)脳内メーカーとか
やってみました。その次は未定です。
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